死産~私のお腹の中で確かに生きた息子の記録⑬

死産~私のお腹の中で確かに生きた息子の記録⑬
入院④処置

陣痛の間隔は最初こそ2分間隔だったのに昼過ぎには5分程に伸びていた。痛さは変わらず重い生理痛のようで陣痛としては軽い。会話も普通に出来る。最初に抱いた早く進みそうという予想はどんどん薄いものになっていった。時々助産師さんが様子を見に来てくれる。間隔が伸びていくのを伝えると「次男君ママのお腹から出たくないのかもね」と優しい言葉をかけてくれた。私も出来ることならまだ一緒にいたい。早く出て来れば出て来るほどお別れも早くやってきてしまう。半年間ずっと一緒だったのに、お腹の中からいなくなってしまうと思うと寂しくてたまらない。往生際が悪いかもしれないけれど、亡くなっていても1分1秒でも長くお腹に留まっていて欲しい。

助産師さんに夫と決めた次男の名前の話をした。「素敵な名前だね」と言ってくれて、入院中ずっと次男のことを名前で呼んでくれていた。他のスタッフさんにも伝わっていたようでみんな名前で呼んでくれた。すごく嬉しかった。私たち夫婦以外に呼ばれることはないだろうと思っていたから本当に嬉しかった。忙しいはずなのに次男に向けたメッセージカードもみんなで描いて下さった。市販のものではなく、イラストを描いて色を塗って切り貼りして1から画用紙で作ってくれて、本当にあたたかかった。うまく言えないけれど、なんというか毎日真剣に命と向き合って仕事をしている人の”気持ちを大切にする思い”に触れた気がした。

夕方になると少し痛みが強まってきた。痛みの間隔も2~3分おきになり、痛さのレベルも昼間とは比べものにならないくらい。感じ方としては6~7㎝ぐらい開いてきたようだった。本格的に陣痛が始まったようで、痛みがつらく感じてきた。入院部屋の個室からLDRに移った。

痛みも本格的になってきたので進んでいくかと思ったけれど、そこからは痛みだけが続き、お産自体は全く進まなかった。22時、23時…と時間だけが過ぎていき、話すこともまともに出来なくなり痛みにもがいている私を見ていられなかった夫は夜勤の助産師さんが様子を見に来たタイミングでこう言った。

「すごく長い時間苦しんでいてつらそうなのでそろそろ促進剤を使ったり、次の段階に進めてもらうことは出来ないですか?」

まさに今私もそう思っていた。でも言葉を発することも出来ずにひたすら痛みに耐えていたので、夫には伝えていなかった。本当に頼りになる夫。夜勤の助産師さんはこう言った。

「だいぶつらくなってきたね~。でもね~この時間帯はスタッフも少なくて何か起こったときに対応できないと困るから処置ができないの。多分今日はこれ以上進まないと思うから、朝になって先生に診てもらってからになるかな~?」

話せなくても声はしっかり聞こえているので、話の内容に絶望さえ感じた。これ以上は進まない…この痛みで朝まで耐える…?先生が来るまでざっと8時間はあるだろう。8時間もひたすらこの痛みに耐えるのか…そう思うと心が折れそうだった…。そうは言っても耐える以外ないのだけれど。痛みからは解放されたい…でも次男がお腹からいなくなるのは寂しい…。色々考えていると涙がでてきた。今すごく痛くてつらい…でも次男はもしかしたら私のこの痛みよりもっと痛い思いをしたのかもしれない。死んでしまうってことはやっぱり苦しかったのかな…。こんなに痛い思いをしている自分でも生きているのに、死ぬということはこれ以上の苦しみであって、そんな苦しみを小さい小さい次男に与えてしまったのかと思うといたたまれなくなった。守ってあげられなかったことに対して改めて胸が苦しくなった。かわいそうで仕方なかった。

そう思うと、自分なんかが痛いつらいと思う気持ちを持ってはいけない気がした。

朝まで耐える覚悟を決めた。

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