死産~私のお腹の中で確かに生きた息子の記録⑭

死産~私のお腹の中で確かに生きた息子の記録⑭
入院⑤三日目・pm4時32分

約2分起きに来ている強い陣痛になすすべもなく耐え続けた。夫もほとんど寝ていなかった上、長引く付き添いに疲れたようでソファで横になっていた。

時々夜勤の助産師さんが見に来てくれているのは分かっているけど、体力の消耗と疲れで意識が朦朧としている。眠さはピークなのに2分ごとに猛烈な痛みが襲ってくるので眠れない。時間の間隔も分からなくなっていった。

そうしてひたすら耐え続け、ようやく朝を迎えた。夫が助産師さんと話している声がする。夜勤の助産師さんと交代で担当の助産師さんが来てくれていた。

「ずっと苦しそうにしていましたが、時々す~っと寝息も聞こえていたので、陣痛の合間に少しは眠れていたのかなぁ…と思います。」

私自身は全く眠れた気がしなかったのだが、夫によると少しは眠っていたようだった。そんなことより私の様子を知っている夫は寝ていなかったのかと驚いた。少しは眠っていたかもしれないけど、きっと気にしてくれていたのだろう…。夫の身体が心配だった。

しばらくすると先生がやってきて「バルーンを取り出して促進剤を打ちましょう」と言った。子宮口は7㎝だった。バルーンを取り出すと痛みが少しましになり、それから少し時間をおいた。

入院3日目。11時頃。点滴で促進剤が注入された。すぐにまた痛くなってきた。どんどんきつくなる。

通常のお産ではNSTのときと同様にお腹にセンサーをつけ胎児の心拍や子宮の収縮具合をグラフで見て陣痛の進み方が分かるようになっている。でもすでに赤ちゃんが亡くなっている死産のお産ではセンサーは付けない。詳しく聞いたわけではないがその時の様子からすると子宮口の開きと、いきみ逃しでお尻を抑えてくれている助産師さんの感覚で進み具合をみているようだった。

9㎝まではすぐに開いたがそれからが長く、一向にいきんで良いとは言われない。前日丸一日陣痛に耐えていたので、体力が持つかどうか不安だった。

14時頃。お産を進めるために促進剤を強めることになった。早くこの痛みから解放されたい気持ちと、痛みが強くなってしまう恐怖が入り混じっていた。この時点で既にいきみたいのをずっと我慢していたのに、さらに強い陣痛がやってきた。あまり声を出さずに呼吸を整えた方が良いというのは頭では分かっているのに、もう呼吸を整えられるようなそんな余裕はなくひたすらうなっていた。

それから2時間ほど経過したころ、痛みにも体力にも限界が来ていて、声が出たら「もう切って(帝王切開に切り替えて)ください」と言ってしまっていたと思う。

少しずついきんでいいよと言ってもらえた。パーンと音がして思いきり破水した。全部助産師さんにかかってしまった。陣痛の痛さも心なしか少し緩んだ気がした。羊水が無くなったからか降りて来ているのもよく分かった。それからはとても早かった。

「足とお尻が出て来たよ」と教えてくれた。逆子なので足から出てきた次男。

次に「肩まででてきたよ」と。

麻酔もしていないので出てきている感覚がはっきり分かった。あったかかった。お腹にいたから自分の体温であったかいだけなのに、こんなにあったかいなんてもしかして生きているんじゃないかとまだ思っていた。

担当の先生がまた新人の先生に色々説明しながら次男を取り上げようとしている。次男の体勢を整えていた。最後にもう一度いきむと全身出てきた。私からは見えない。

夫が「へその緒を切らせてもらえないですか」と先生に言った。

長男の時にも夫が切った。次男のバースプランにも書いていたが転院してきたのでここの先生が知っているはずもない。断られるかもしれない。でも夫は何のためらいもなく先生に申し出ていた。長男と同じようにしてあげたかったのだろう…夫の思いが伝わってきた。一瞬驚いていた先生だったが快く承諾してくれた。

pm4時32分。

32週と1日。一緒に過ごした日数。

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夫が切った次男のへその緒。

2024年2月現在、出産等の都合で記録⑮を残すのに時間がかかっています。
今年中にはこの記録は完成したいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

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